サドルの上から、ハッシンします。

基本、自転車でどこでもいけると思ってます。そんな私がサドルの上から私が見てきたものとは。

2019.06.21 高橋 英恵(Hanae)

高橋 英恵(Hanae)

高橋英恵です!

…と、さて、なにかから書き始めればいいんだろう?

自己紹介記事ってなんだかんだ難しいですよね。とりま、思いついたことを徒然なるままに、書いていこうと思います

<生まれた!>

私は予定日より2週間ほど早い1993年5月26日水曜日午前8時26分、千葉県の病院で生まれました。その日はよく晴れていたそうです。当時父は仕事の都合でロンドンに駐在していて、上司にそろそろ娘が生まれるから帰国してもいいかの相談をしていたとき、ちょうど私が生まれたとの連絡があったそうです。

そして生まれて4ヶ月後、母とともに、父の働くロンドンへ旅立ちました。ちなみに、私の名前の「英恵」は「英国で恵まれるように」という意味でつけられたそうです。もし男の子に生まれていたら、当時父がはまっていた時代小説の主人公「またえもん」という名前になっていたそうです。女の子に生まれてよかったと思います。

<パブの常連でした>

さて、ロンドンには約5年、郊外の住宅地に暮らしていました。幼い頃の記憶はわずかですが、週末、父と一緒に家の庭や公園で遊んだことや、森を抜けパブに行き、ビールを飲む父の傍でオレンジジュースとポテトチップスを食べていた記憶が強く残っています。

父としては、自分の息抜きにパブに私を連れていっていただけなのだとは思いますが、私自身、このパブタイムがすごく楽しみだったことを覚えています。このパブに行く途中には牧草地があり、馬を眺めながら丸太をまたぎ、泥沼を回避しながらでないとパブに辿りつけない…。大人の父にとっては、丸太や水たまりをまたぐことはたいしたことない行為ですが、当時身長1mにも満たない当時の私にとっては、全身を使って丸太をこえ、父の手を借りて泥沼(実際は水たまり)を超えるというのは大変なアドベンチャーでした。

そうしたアドベンチャーを潜り抜けた先でのビール…ではなく、オレンジジュースとポテチの美味しいこと!オレンジジュースとポテチが楽しみだったのはいうまでもありませんが、それ以上に、この散歩道を歩くことが本当にワクワクしていたのだと思います。

週末のお楽しみはオレンジジュースとポテチ。

<大学に行きたくない>

ロンドン時代は自由に育った私ですが、日本に帰国してからは特に遊ぶようなことは少なくなりました。日々習い事があり、小学校高学年からは受験。本心としては地元の中高に通いたかったけれど、当時は親に逆らうという選択肢があることはつゆ知らず。諦めを持って、言われるままに塾に通い、親や塾の先生が勧める学校を淡々と受けました。幸い勉強することは好きだったし、小学生や中学生のときは自分が物知りになった気がして塾には楽しく通い、中学受験、高校受験は乗り切ることができました。特に社会科と生物・地学が好きで、国際協力や、環境問題に関心を覚えたのも、この頃からと記憶しています。

高校に入ってからは日々部活の日々。ハンドボールという球技に打ち込んでいました。高校はハンドボールのために通っていたと言っても過言ではありません。

ハンド部ではキーパーでした。

しかし、高校二年生の冬となり、3年次の自分の授業を選択する必要が出てきました。

そこで感じたのは、自分が勉強したいことも将来やりたいことも特に決まっていないのに「高校の後はとりあえず大学」という流れへの違和感でした。

その場しのぎの、自分の「知りたい」という衝動から始まらない勉強は、果たしてどのような意味があるのだろうか?「大学に行きたくない」と、その時初めて感じました。明確に、突如この言葉が浮かんだのを覚えています。

そんな悩みを、当時の部活のコーチに相談した私ですが、対話の中での「自分がしてもらった分、社会に還元すること」というコーチの言葉に強く動かされた私は、「どうせ大学に行くのであれば、自分なりの社会の還元方法を身につけたい」と思いました。


もちろん、当時の私には、自分がどのように社会の役に立てるのかわからなかったし、実際に社会で働いてみないと分からないとも思いました。けれど、コーチに「大学に行けるチャンスがあるなら行きなさい」諭され、渋々ながら聞き入れ、”私なりの社会への還元方法”を見つけるために大学に行こうと考えを改めたのです。

そんな矢先、3.11がおきました。

この震災によって、引退のかかる最後の試合が控えるなか、2週間ほど学校での練習はできない期間が続きました。

練習はできなくても体力は維持しようと、家の近くを流れる多摩川沿いを毎日ランニングしていたものの、3、4日続けた頃、なんとなくコースを変えてみたくなりました。

気持ちの赴くまま、新たな景色に目をやりながら順調に走り続けた矢先にうっかり迷い込んでしまったのが、4年間通うこととなった国際基督教大学。

私は、このキャンパスに一目惚れしてしまいました。緑の多さ、空気の新鮮さに。

こうしてICUを目指すことになり、無事、私は大学生になりました。

<風に心を揺さぶられ>

一度は「大学なんて行かない!」なんて思ったものの、第一志望の大学に入学。

大学一年の夏に、語学研修でバンクーバーに行きました。

海と山に囲まれた都市、バンクーバー。日常生活の中で人々が自然と親しむ風景が多く見られ、このような生活がしたいと憧れを抱いた街です。

海と山に囲まれた都市、バンクーバー。

滞在中、ホストマザーに「バンクーバーに来たからにはサイクリングしなきゃダメよ!」と何度も言われ、そんなにいうならと、一緒に来ていた仲間と一緒にスタンレーパークを走ることに。レンタサイクルを公園の近くで借り、そしてペダルを踏み出したとき、思わず私は無防備になってしまったんです。

このとき、人生で初めて「自分、生きているな」と感じました。

自分の肌で、鼻で、耳で、目で、足で、風を感じる感覚。

自分がペダルを踏めば踏むだけ加速する感覚。

初めて、心が沸き立つ感覚を覚えました。

と同時に、すごく驚きました。

というのも、自分の心がまだ機能しているということに気づかされたから。

周囲との違和感から身を守るために、親の期待に応えるために、無意識のうちに自分の感情を抑えてしまっていたことに気がつきました。「心が動く」なんて文学上の表現で、自分にはそんなものは関係ないと思っていたから。

サイクリングを終えて。

以来、私のそばには常に自転車がありました。

何かを考えるのも、サドルに座っている方が整理できるし(安全確認はちゃんとしていますよ!笑)自分の行動範囲が広がるのが面白くて、いろいろなところを走って回るようになりました。

2年の夏休みには大学の仲間と、北海道を三週間かけてキャンプツーリング。
沖縄の基地問題が気になり、沖縄本島を一周。
ニライカナイ橋。この坂を下るつもりが、登ってきました。笑

<構造的暴力をなくしたい

そんなふうに自転車に乗る日々を送る中、相変わらず私は”私なりの社会への還元方法”を探しつつ、何となく抱いていた疑問について考えていました。

「豊かな地域がある一方、生きることすら困難な地域があるのは何故なのか?」

「物質的には豊かなのに、何故心の病を持つ人が多くいるのだろう?」

「人間に限らず、どうして他の生き物のすみかを奪ってまで経済成長を追いかけるようになってしまったのか?」

頭の中を駆け巡る様々な問いへの答えを見つけるべく、講義を受けたり本を読んだりする中で出会ったのが「構造的暴力」という概念。

「構造的暴力」とは、誰かが誰かを傷つけるような直接的な暴力ではなく、社会の構造が人々の間で不平等を生み出し、人々の生活を脅かすものです。

自分が感じていた疑問は、この「構造的暴力」そのものだったと気がつきました。

そして、構造的暴力はどのように克服できるのかを考え、大学時代を過ごしてきました。

卒業後の2年半ほどは、国際税務の仕事をしていましたが、自分が目指す社会の方向とは正反対の方向に推し進める仕事。

心と正反対のことをするのはしんどい期間ではありましたが、ご縁あって、現在は国際環境NGO FoE Japanの一員として、構造的暴力の克服に向けて働いています。

大学時代、最も心に刺さった本。シモーヌ・ヴェイユ「根を持つこと」(1943年)
“人間は、過去のある種の富や未来へのある種の予感を生き生きといだいて存続する集団に、自らの根をもつことを欲する。”
“労働者たちは、パンよりも詩を必要とする。その生活が詩になることを必要としている。永遠から差し込む光を必要としているのだ。”
彼女が描いた社会については、いつか紹介したいと思います。

<私が目指すもの。スパイラルにいるわけ

サレルノからソレントを経由し、ナポリへ。スマホなく、印刷した地図だけを頼りに。

自分の足で、手で、肌で、耳で、鼻で、目で、自分が生きる世界を感じること、それが生きるということ。その過程で、心が熱くなるような美しさを感じられたら。

戦火が飛び交っていないということだけが、平和ではないはずです。

全ての人々に安心して生きる基盤があり、その基盤が壊されない状態こそ、「平和」なのではないでしょうか。

自然は私たち人間の生きる基盤であり、その基盤を破壊するということは、自然への暴力だけではなく、人間への暴力でもあるはずです。

スパイラルでアウトプットしてみようと思ったのも、

「私たち人間は、自分たちが根づく環境ついて、見つめ直す必要があるのでは?」

と皆に問いかけたかったから。

その問いを発することが、自分を社会に還元していくということなのではと思ったからです。

なので、これからは主に、

“人間は今まで自然をどのように捉えてきたのだろう?”

“幸せや豊かさをどのように定義してきたのだろう?”

“これからの社会のあり方とは?”

ということを、発信していければと思っています。

もちろん、素敵な仲間たちに心が惹かれたのもありますヨ!

…と、すごい長旅になってしまいましたね。ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございます。

私の記事が、皆さんの未来を描くときの糧となれば幸いです。

あ、そうだ。自転車が欲しくなったら、私までご連絡ください。一緒に愛車を探しにいきましょう!

高橋 英恵(Hanae)

高橋 英恵(Hanae)

1993年5月26日生まれ。自転車でならどこでもいけると思っている自転車乗り。
大学では平和思想史を専攻。ソクラテスの時代から愛や正義、幸福とは何かを問う。
一旦企業に勤めたが、心の声に従いNGOへ。気候変動をめぐる問題に取り組みながら、全ての人々に安心して生きる基盤があり、その基盤が壊されない社会を目指す。

質問はこちらまでお寄せください スパイラルクラブに寄付する

オススメ記事

  • なんで美緒は東京に戻ってきたの?

    東京には戻ってこないつもりで荷造りした。気が付いたらまた東京にいた。もうスパイラルに包囲されてる!

  • 若いからこそできることがある#Fridays For Future

    『気候正義のために金曜日は学校を休みます。』日本でもスタートした、学生ストライキとは?

  • 清水イアンでござる!!!

    知られざる清水イアンの全てを公開!ついでに宇宙の秘密も暴露しました。絶対に読まないで下さい!

    清水 イアン

    清水 イアン