『海獣の子供』の世界が見たくて。
物語が見せてくれた景色の、その先をどこまでも駆け抜けたい!

松岡 美範
ごぼごぼ。ぶくぶくぶく。
自分がはき出した泡の筋が、
連なって湧き上がる様子。
その泡を、光を受けて輝く水面まで見送る。

ウミガメが昼寝するとなりで、
雲間に光が差し、魚影がくっきりするとき、
マンタにまちぼうけを食らわされているとき、
光が薄い海底40mで古瓶に住む小魚にあいさつしたあと、
いつも水面を見上げてしまいます。
ゆっくりと、でも止まることなく
海面へ向かう泡は、太陽の光を受けながら
きらきらと次第に輝きを増す。
とうとう水面にたどり着いた泡は弾け、
波にもまれながら海と、空気と溶け合う。
私がいつからかこんな景色に取りつかれ、
海の不思議に触れることの喜びを感じ始めたのには、
色々な理由がある、と思います。
その理由の一つである漫画を、今日はご紹介します。
タイトルは『海獣の子供』。
<あらすじ>
『海獣の子供』は、海のお話。
それもジュゴンに育てられた、2人の男の子をめぐって語られる
命の物語。
二人の少年に出会った、陸の少女が
少年達と共に、きらきらと光って消えてゆく
「海の幽霊」を追いかける。
海の幽霊が現れるとき、海の生き物は幽霊めがけて大移動をはじめ、
クジラの「ソング」の合図で、誕生祭が始まる。
海の記憶に触れて、少女に任された役割、そして彼女が目にしたものとは?
海の秘密が、世界中の人々の証言によって、少しだけ明るみに出る。
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大好きなお話だけれど、ストーリーを明かすのはここまで。
海の世界・陸の世界・宇宙の関係性、「誕生する」ということ…
ストーリーを通して、いろんなことを考えさせられる漫画です。 何度読み返したことか、ってぐらい大好きで、ページをめくると次にどんな言葉がでるかもう分かってしまう。
海好きの人はもちろん、哲学モノ好きの人にもおススメしたい。
気になった人はぜひ読んでみてくださいね。いや、読んでください!
読み終わった時、あなたも海の秘密のとりこになっているはず。
今日の記事は『海獣の子供』と、私がどんな風につながっているか(つまり、どうしてこの物語が大好きで、私にとって大事なのか!)についてお話します。
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<私たちが見ている世界>
私が物語を通じて見たものは、どこまでもリアルで、リアルではない海の世界。
物語に引き込まれるうちに、今まで知らなかった世界にたどり着いた気持ちになる。

物語中には、繰り返し伝えられるメッセージがいくつかある。 その中の一つは、私たちは宇宙や海のことについて、まだまだ知らないことがある、ということ。
そして「私たちが見ている世界」が実際に、
「そのように実在する」わけではないかもしれない、
という問いかけが刺さった。
もし私の見えているものが、
聞こえているものが、
感じているものが、
本当はそのように実在しなかったとしたら。
大好きな色だって、
自分の声だって 、
海辺に吹く風だって 、
私たちが思っているようなカタチではないのかもしれない。

そうやってあたりまえという感覚を消してみて、
今見ている世界に、もし「本当の姿」があるなら…を、想像するのが楽しくなった。
自分の目を疑う、という話になると
フィールドで、自分の存在すら忘れてしまうほどの景色を見たことを思い出す。
そしてそんな景色を写真に収めることは、ほとんど成功しない。
例えばそれは、雨雲と晴れ間のあいだに現れた虹のちょうどとなりに、黒い雲が雷を落とした時のこと。
「あ…!」と思ったときにはその光景は終わり、
まわりに誰か同じものを見た人がいないかきょろきょろした。
(その時唯一見つけられた動物は、防波堤の上で一休みするヤドカリだけだった)

何を見たかその後人に話して、その興奮が分かち合えなかったとしてもそれでいい。
私が見たものは、私だけが知っていれば十分なこともある。
だって私は、見たんだから。
聞いたんだから。
触れたんだから。
何が大切か分かっていれば、人に話さなくったっていい、というのは『海獣の子供』から学んだことのひとつ。
自然は人間の視線なんかお構いなしに、いろんな表情や現象を起こす。
その一瞬が見れたときには、私に「見せてくれた」という感覚から、驚きの直後に「ありがとう」って気持ちも生まれる。
<人間も動物の一部>
『海獣の子供』を読んでいると、見たことない世界を見ているはずなのに、昔の記憶がふとリンクすることがある。
小学校の時通っていた、塾の国語の授業で出された、ある文章。
『…イルカは知性があると言うが、その知性とは、人間のものさしによって測られたものである。そして人間は、思考し、言葉が話せることから一番賢い生き物である、という無意識の概念を持っている。
…もしもイルカが私たちには理解できない言語で会話を繰り広げているならば、私たちの言う「賢さ」では、イルカの知性を測ることなどできないのである。 』
おぼろげな記憶ながら、そんな内容だった。
小学生だった私は、「人間は人間をナンバーワンの生き物と思っている」という指摘に、目からウロコだった。言葉を持たなそうな昆虫がバカという理論は、アホらしいと幼いながらに思った。人間の世界だけで決められた、知性というレベルにどれだけの価値があるのか、考えさせられた。
人間が全てを支配したような気持ちになる、普段の生活から、この物語はまた私をひっぱりだしてくれたと思う。人間も動物の一部であることを、はっきりと示して。
<海の秘密に触れて>
漫画の物語そのものはフィクションだけれど、物語の中で語られる海にまつわる秘密や、生き物の役割が、私をとてもとても引き込むので、読む前よりも海の細部に目が向くようになった。

例えば、ただひいては寄せる波の動きで、砂浜に美しくそして複雑な跡が残されていることに気が付いた。その模様は、砂浜を形成する砂の質や、同じ浜でも地形によって全然違う。
そして波が引く時に、サンゴと貝殻がかき乱されて
しゃらんしゃらん。からからから。
となる音が、あれほど美しいと、どれだけの人が知っているだろう。
音がしやすいのは、サンゴの死骸がたくさんあるところ。
だから、裸足で波打ち際に立つと、死骸が波にもまれてぶつかって、痛い。だけど、その痛みも忘れてしまうぐらい綺麗な音色だから、ずっと聞いていられる。砂浜に打ち上げられるものから、この海には何がいるのか考えると、想像力が掻き立てられる。
他にも、打ち上げられたものを観察して、どうしてこんなものが自然で作られるのだろうってただ感心したり。
『海獣の子供』に登場する、ジュゴンに育てられた子供の目は、どこまでも、ここじゃないもっと遠くの世界を見ている。
その世界に魅せられて、私も私だけの冒険に出かける。
ザトウクジラの息吹や、
息継ぎの時に生まれる小さな虹、
イルカのつるつるした肌の感触や、
息もできないほどのスコールに巻き込まれた時の、
どうしようもないおかしさも、全部私の体の中に蓄積されている。
物語の光景を追いかけていると思ったら、いつの間にか追い越すこともあって、
その時私は未知なる海の世界に、全身で飛び込み、駆け抜けている。
そして冒険に行った後に『海獣の子供』を読み返せば、その感覚が、温度が、色が、音が、においまでもが、よみがえる。




冒険から帰ってきた後も、『海獣の子供』の世界の端っこを探していると、波模様に流れる雲が、マンタのエラに見えたり、木の皮がクジラの尾にしか見えなくなったりする。
私の生活の中では知らぬ間に、『海獣の子供』フィルターがオンになることがある。
そしてその時は地球が、海が、より一層豊かに見えてくるのです。
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『海獣の子供』の物語は私に新しい知識と、好奇心を与えて、私は冒険に出ました。
冒険の中でいろんなことを考えるうちに、『海獣の子供』の物語が私の中に根差し、一部は私の血肉となりました。それが私を海へと駆り立てる、源の一部になっていることは間違いない、と思うのです。
あなたを駆り立てる本は、ありますか?
あなたの世界を広げてくれる本は、どんな本ですか?

松岡 美範
国内外でウミガメ、サンゴ礁、イルカなどの海洋保全活動に参加。夢は鯨類と泳ぎ、オサガメと出会うこと。今後学びたい事は、クジラのソングやヒートコーラル、海に関する神話と、科学の親和性。知識・感情共に豊かな海洋ジャーナリストを目指す。もっと詳しく


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